買い物や通勤通学で人々が行き帰う、小田急線代々木八幡駅の踏切。踏切の高架下にあるカラフルな壁画に見覚えのある人も多いのではないでしょうか。この壁画は「代々木八幡ガード下壁画プロジェクト」で富ヶ谷小学校の小学3年生から6年生が描いたもの。2018年から定期的に描かれて以来、すっかり街のアイコンとして定着しています。
プロジェクトの発起人は、イラストレーターの小池アミイゴさん。今回は、富ヶ谷在住26年のアミイゴさんにこれまでの経歴や、プロジェクトの裏話を伺いました。
富ヶ谷の住宅街にある小さなアトリエ
取材当日、待ち合わせしたアミイゴさんと歩いて富ヶ谷のアトリエへ。途中、近所の刺繍教室レンミッコの窓を覗き込み、「どう、元気ー?」と気さくに話しかけるアミイゴさん。顔見知りのスタッフさんに、「これから監獄(アトリエ)で尋問(取材)を受けるんだよ!」と冗談混じりに近況報告を。お茶目でフランクな人柄で、街で知らない人はいないムードメーカー的存在なのでしょう。友人とアミイゴさんがばったり会ってお喋りする姿は、富ヶ谷でよく見かけるワンシーンなのかもしれません。
アミイゴさんのアトリエがあるのは閑静な住宅街。現在は二階建ての一軒家を友人とシェアして使っています。画材や作品、過去の原画が所狭しと並ぶアトリエで、アミイゴさんは新作絵本3冊を制作中。
今年6月に「こどものとも」で発売される新作絵本の主人公、ぺんくん。ダンボールで作った立体人形を撮影して絵本に。ダンボールならではの温もりが素敵です。
人生を決定づけた恩師・長沢節の言葉
アミイゴさんは群馬県生まれの61歳。幼少期について伺うと、マセた性格で幼い頃から自分を何かで表現したいと思っていたそう。本・映画・音楽に触れ、世界にはこんなに心を揺さぶるものがあるのかと感銘を受けたと言います。
高校卒業後に上京し、親の勧めで大学へ入学するも学校に馴染めなかったアミイゴさん。そんな時に友人が勧めてくれたのが、多くの芸術家を輩出したセツ・モードセミナーでした。
「募集要項に『セツは自由な学校です』と書いてあって。みんなが自由と言っていることが自分には自由に思えなかったから、本当の自由を探りたいという興味で通い出しました。『人の持ってる才能は試験ではかれるものではない』という方針から入学試験がなかったことや授業料が安かったのも有り難かったですね」
セツモードセミナーは、ファッションイラストレーションの第一人者である長沢節の私塾。美大や美術学校のような絵を描くテクニックを教えることはせず、生徒の絵を壁一面に飾って批評しあい、人が描いた絵を見ることが一番勉強になると教えていたそう。
「それまでは何者でもない自分が個性的であろうとして、例えるなら錆びたナイフでグサグサ人を傷つけるようなコミュニケーションしかできずにいたんです。でもある日、長沢節が『個性は人と違うことだけじゃない。絵を描いた自分と似た表現をした人がいたら、興味を持って近づき、その人に話しかけてみる。それが一番学びになる』と教えてくれて。『似たものを探す中にも個性があるんだ』と気持ちが楽になりましたね」
人生を決定づけた恩師の言葉。アミイゴさんは「今も長沢節のメソッドと美意識が人と接する時の基礎になっている」と言います。
入学して22歳で絵を描く喜びを知り、それからは学校のアトリエの半分以上を自分の絵で埋めるほど制作に没頭したそう。そして描き始めて2年半経った時、展覧会の入選をきっかけにイラストレーターとしての人生がスタートしました。
絵を描くのは左手で。右手だと、売れたいやモテたいとスケベなことを考えてしまうからだそう。アミイゴさんが目指すのは子どもが描く絵。アミイゴさんにとって子どもの描く絵は、生きる根源がこもっていて、ワイルドでセクシー。
自分、そして作風を築いたローカルでの活動
当時はバブル期真っ只中。アミイゴさんはバブルで浮かれる東京に浅ましさや違和感を感じていたそう。そんな時、仕事や不規則な生活で無理が祟り、1ヶ月間入院することに。入院中に過去を振り返り、自分とは何者かを掘り下げてたどり着いたのが、穏やかな桜が咲く群馬の風景でした。そしてバブル崩壊のタイミングと家族の事情が重なり、活動拠点を実家のある群馬に移します。
30歳で初めて受けた絵本の仕事。「恥ずかしいんだけど、最初の本で入院中に考えたことを全部表現しちゃったんだよね」とアミイゴさん。絶版で手に入らない貴重な一冊。
「群馬に戻ってイラストレーター仲間との付き合いがなくなり、『アイツは絵をやめたらしい』と噂されて悔しかったですね。焦ったけど意地があったし、田舎の風景を見て描くことが自分を作る作業やアドバンテージになるはずと信じて続けていました。マジックアワーの光の変化や、広い空、田んぼで交わしたおばあちゃんとの会話は今も記憶に残っていますね。当時の記憶は自分の糧になっていて、インプットした当時の風景を思い出して描く仕事もあります」
人が歩く風景。アミイゴさんの絵はピュアな人柄や優しさが滲み出ているように感じる。
ちょうどその時、仕事で福岡・薬院のカフェカルチャーに携わる人たちに出会ったアミイゴさん。レシピ交換やスタッフとの交流を通して、小さいカフェが店の枠組みを超えて、街を育てようとする姿に感銘を受けたそう。
「東京もカフェカルチャーが全盛でしたが、俺様な手柄を取り合うビジネスに嫌気がさしていて。薬院はお店同士の横のつながりがすごく美しかったんです。そんなサスティナブルな経済のあり方に共感して、毎月福岡に通うようになりました。1997年に群馬から富ヶ谷に生活拠点を移し、それ以降は東京から群馬や福岡などの地方を回って絵を描く活動を始めました。バブルが弾けてグローバルに行くべきという風潮の中で、俺はローカルへ行かなきゃと思っていましたね」
アミイゴさんが手がけた天草市役所職員の名刺。名刺の裏には100種類の天草の風景が描かれている。どんな一枚に当たるかドキドキする新しい名刺交換のスタイル。イルカやハイヤ節など、知らなかった天草の魅力やイメージが伝わる素敵な企画。
息子がふるさとと呼べる場所に。地域活動へのきっかけ
福岡では人生の伴侶となる女性と出会ったアミイゴさん。2009年に結婚、そして妊娠。しかし妊娠と同時に奥さんの子宮頸がんが判明する。
「ステージが進行していたので、選択肢は二つ。妊娠を諦めてすぐに抗がん剤治療をするか、26週で計画分娩して子宮を摘出するか。夫婦でいくら話しても考えがまとまらなかったですね。何も手につかない姿を見て彼女の母親が『産みたいんだろう。手伝うよ』と言ってくれて出産を決めました」
予定日より3ヶ月早く出産。お子さんはNICUで経過観察し、奥さんは抗がん剤治療を経て晴れて退院を迎える。しかし平穏な生活の矢先に起こったのが、東日本大震災でした。被災して不条理に亡くなる人を見て、いても立ってもいられず、アミイゴさんはボランティアとして東北へ。そして東北で絵を描く活動を始めました。
アミイゴさんが文と絵を手がけた絵本「うーこのてがみ」の原画。題材になったのは、東日本大震災被災地の水曜日だけ開く郵便局のプロジェクト。二匹のうさぎが手紙を交わして交流するストーリーや、自然豊かな風景に心温まる一冊。
群馬、福岡、東北とローカルを巡りながら、次に思ったのが暮らしている街のことでした。「住んでいる代々木の街を、息子がふるさとと呼べる場所にしたい」と思ったアミイゴさん。クリエイティブな同業者だけでなく、町内会などの幅広い世代で地域を作る活動を目指し、息子が通う小学校のPTAに参加。地域の活動を補佐する郊外委員を担当したことをきっかけに、PTA副会長、そして渋谷区の青少年対策地区委員会に参加して、地域貢献を模索しました。
PTA副会長を務めた時に、富ヶ谷町会から受けたのが「暗い高架下を変えたいから絵を描いてほしい」と言う相談。
「廃校舎に絵を描いて犯罪がゼロになった福岡の事例を参考に、富ヶ谷小学校の子ども達が絵を描くことを提案しました。子ども達が学校外で活動する姿や、親や町内会の連携を街の人に見せれば防犯に繋がるし、渋谷区の課題だった落書きが減れば良いなと思いました」
プロジェクトは、学校、子ども、親、地域、アーティスト、小田急、渋谷区、東京都と全部がフラットに話をして子ども達の力で街を楽しく綺麗にするモデルを作っていけたらとの思いから、「とみがやモデル」と名付けることに。
絵のテーマは「グレー」。子どもたちは通る人を思って色を重ねる
初回は小学5年生が代々木八幡の例大祭に合わせて、アクリル絵の具で夏の絵を描きました。一回で完成させず、四季に合わせて景色が変わるよう書き足し、これまでに8回のセッションを実施。
「回数を経て、たくさんの子どもたちと絵を描くと色が重なってグレーになるんですよ。だからテーマはグレー。『街を歩く人が主役だから、君たちが描きたいものを書くわけじゃなくて、この道を通る人が幸せだと思うものを書こう』と伝えています。
2回目のセッションで男の子たちがデカいうんこの絵を描いていたんですよね。見た人が嫌悪感を抱かないか心配したんだけど、その中のひとりが絵の具を何色か混ぜて『うんこ色!』って騒いでいて、その色が綺麗でね。『それは名前をつけられない綺麗な色だせ!』『名前をつけられない色を作るなんて最高だよ!』と伝えると、うんこを描くより綺麗な色を塗る方が気持ちいいと気づいたんだろうね。その気づきが周りに伝わって、うんこチームみんなでワイルドでパワフルな色面を作り出してしまった。彼らが気持ちよさそうに塗った箇所は、今見てもエネルギーに溢れ最高にクールなんですよ!」
卒業後に違う場所に暮らし、戻ってきた時に壁画に自分の絵があって喜ぶ卒業生もいるのだとか。たくさんの人が行き交う高架下の22メートル、二面の大きなキャンバス。街の人を思い表現する体験は小学生にとっては唯一無二の貴重な機会。子どもたちが通る人を思い、悩み、楽しみながら壁画を変化させることで、街にも変化が生まれているのではないかと感じました。
街の人の顔が見える関係性が、富ヶ谷の魅力
全国のローカルを巡り、さまざまな街の魅力に触れてきたアミイゴさん。そんなアミイゴさんに改めて富ヶ谷の街の魅力を伺うと、「個人のこだわりが守られているところ」と教えてくれました。
「最近大手の不動産主導でタワーマンションが建っているけど、住む場所を選ぶ大人が街にリスペクトやこだわりを持つことが重要だと思います。大人のリスペクトが子どもに伝わって地域への愛着が育つと思うんですよね。
この街にはこだわりのある人や店が多いのが嬉しい特徴。こだわりのある店といえば、富ヶ谷にLittle Nap COFFEEが出来て街が変わった気がしますね。夜遊びでしか顔を合わせなかった奴らが朝カフェでコーヒーを飲みながら子どもの小学校の情報交換をしていたり。こだわりのある店をベースに、街の人の顔が見える関係性がこの街の魅力だと思いますね」
小池アミイゴ
ALL PHOTOS:SHO KATOH
RELATED
関連記事