ひたすら居心地がいい、眼鏡屋さん
まちの魅力を生み出す「人」にフォーカスする連載企画「上原人物名鑑」。第5回目は、眼鏡とサングラスのセレクトショップ‘igc’を営む上田琢也さんにお話をうかがいます。
international glasses company、頭文字をとって“igc(アイジーシー)”
外のベンチには穏やかな陽射しが注ぎ、ボーっとしたり、店主の上田さんと話すのに、良い場所です。
お店の中には、上田さんが選び、世界中から仕入れたさまざまなブランドの眼鏡・サングラスが並んでいます。
ひとつのことを突き詰める。
こんにちは!昨年、GMT inc.の三浦さんに連れてきていただいた以来ぶりです。無事、メディアもスタートしました。
WEBサイト、みましたよ!これまで登場している方々はそうそうたるメンバーですね。シラフだと緊張してうまく喋れないので、ビール飲みながらでもいいですか?
もちろんです!
ありがとうございます(プシュッ)
お水と、ビールと、あと煮詰めすぎたコーヒーがありますが、どれにしますか?
煮詰めすぎたコーヒーでお願いします。
はい、どうぞ〜
前回はご挨拶だけで、‘igc’ではどのような眼鏡・サングラスを扱っているか、だったり、上田さんのことについては、あまりお話を聞けないままでいました。あと、外のベンチが居心地がよくて、のほほんとした記憶があります。
そうですよね。毎日お店に来てくれるけど、飲み物だけ飲んで帰る人もいて、「ここは眼鏡屋さんですか?」とよく聞かれますが、眼鏡屋なんです。
さきほどお客さんがいらっしゃって、上田さんがお話したり、その場でフレームを整えて、最適な形にフィットさせている姿をみて、ああ、すごく眼鏡屋さんだって思いました。
ええ、実はちゃんとした眼鏡屋です。
‘igc’では眼鏡・サングラスのメンテナンス、視力検査や検眼なども行う
今回はですね、上田さんがなぜ代々木上原で、眼鏡屋さんになったのか?というヒストリーを伺えたらと。
眼鏡屋になろうと決めてこのお店ができるまでは10年くらいかかっているのですが、はじめに、自分が「これだ」と決めたものを突き詰めようということを、24歳くらいのときに決めていたんです。
というのも、新卒で入ったのが人材系の会社だったんですけど、「商材が人」っていうのが性に合わず、1年で辞めちゃうことになって。
ひとつめの就職が、あまりうまくいかなかったと。
就活のときに自己分析みたいなところで悩んで、その頃はマルチな人間を目指そうと思ったんです。誰にでも、何にでも合わせられる人。ところが、そんな器用な人間じゃないことが働き始めてすぐにわかってしまいました。むしろ、めちゃくちゃ不器用。
最初のところでつまずくと、なかなか落ち込みますよね。
そうなんです。周りは皆スムーズに働き始めて、銀行やら金融やら、大手企業にいって、出世コース。1発目でダメやった自分は、なにかひとつのことを突き詰めてやるくらいじゃないとダメだなって。
1枚の貼り紙。
そこから、眼鏡屋さんになろう!というのは、すぐに定まったのですか?
なかば偶然ではあるんですけど、その「何か」を探しているときに、すごくいい雰囲気の眼鏡屋さんを見つけて。お店の貼り紙に、スタッフ募集と書いてある。これや、と思って、面接で話すために、自分の人生における「眼鏡の話」を思い返してみたんです。そしたらもう「眼鏡、めっちゃいい」となりまして。
眼鏡は小さいころから実際にかけていたのですか?
高校3年生の秋ごろから、大学、社会人と、ずっと眼鏡はかけていました。親父が高校教師をやっていた人で、すごく尊敬しているのですが、彼もずっと眼鏡でしたし、自分自身、これまでにかけていた眼鏡を一つずつ眺めると「このときはアイツと仲良かったな、どこどこに行ったな」といった、当時の記憶や想い出がありありと浮かんできたりして。
なるほど。眼鏡には記憶再生装置みたいな面もあると。
洋服とか靴とかでも同じだとは思うんですけどね。だけど、眼鏡は圧倒的に場所をとらない。そのサイズ感と関連して、眼鏡についてもうひとつ、大事なことを思い出して。
眼鏡の原体験。
もうひとつ、大事なこととは?
大学生の頃、当時付き合っていた大好きな女性が、フランスに留学してたんです。その彼女を訪ねてフランスに行った際、自分へのお土産として、現地で買って持って帰ってきてたのが、眼鏡でした。持ち運びやすいから、っていうこともあるとおもうんですけど。
大好きな人がそこにいると、記憶に残りますよね。
そのシチュエーションで選ばれる物って、めちゃくちゃ素敵やなぁって。それでもう「眼鏡でいこう」となって、眼鏡屋さんで働きはじめたのが25歳のとき。当時、神戸の三宮にある「デコラ神戸」というところなんですけど、3年間働かせてもらって、基本からすべて教えてもらいました。
ドイツ留学、〈オリバーゴールドスミス〉の営業マンを経て、ふたたび眼鏡屋さんで修行。
その後すぐに独立されたのですか?
いえ、その前に英語を勉強したいのと、欧州の眼鏡屋さんをみてまわりたくて、ドイツに1年間留学したんです。
これまた良いですね!ドイツ。
留学中に、フランスで開催される眼鏡の展示会に行くことができて。実質プー太郎なんですけど、それらしい顔して潜入して(笑)。そこで偶然出会ったのが、〈オリバーゴールドスミス〉のディレクターの方。眼鏡屋さんをやる上で、海外ブランドの代理店のことも経験しておきたいと思って、帰国後、その方に連絡して。2年ほど、営業マンとして全国行脚をしていました。
眼鏡にまつわるお仕事ながら、また違ったアプローチですね。
ええ。すごくいい経験をさせてもらったのですが、自分は完全にB to Cをやりたい人なんやなということに気づいて。商談で、社長さんが喜んでくれてるけど、本当にお客さんまで届いてるんやろうか?ともどかしくなって。最後に、眼鏡屋さんをやる上で検眼の知識を身につけておきたかったので、渋谷の「メビウス」という眼鏡屋さんに入ります。そこでふたたび3年間働きました。
25歳で独立を決意して、眼鏡屋さん→海外留学→眼鏡ブランドの営業マン→眼鏡屋さん、とキャリアを積まれたと。
もともと眼鏡屋として、道を突き詰める覚悟だけしていたので、時間はそれなりにかかりましたね。
RELATED
関連記事