3年間のフリーターを経て、27歳でアパレルブランド立ち上げ
ー続いて、Nescoさんの生い立ちや経歴を伺っていきたいと思います。お生まれはどちらですか?
北海道の、帯広の下あたりにある小さな町で生まれ育ちました。当たり一面平野で、人があんまりいなくて、ありえないくらい牛がいるところです。
ーありえない数の牛(笑)
牛に囲まれつつ、小中高までのびのびと育ちました。
ー大学は東京ですか?
大学まで北海道です。当時、東海大学のデザイン学科が旭川にあったんです。そこで4年間デザインのことを勉強しました。
ー就職のときに上京、というわけですね。
はい。デザイナーを志して東京に出てきたのですが、はじめの3年ほどはフラフラして、定職にもついてなくて。
ーあら。これまたどうして?
自分より先に、姉が東京でデザインの仕事をしていたので、実情を聞いてみたんです。話をきいてるとグラフィックデザインの仕事はクライアントのオーダーをこなすばかりであまりおもしろいものではない、と。若くて何もわかっていなかったので割りと真に受けて、それならあんまりやりたくないなーって踏みとどまるんです。
宙ぶらりんで何をやるべきかわからず、ひとまず佐川急便だったり、清掃業や工事現場の仕事をやったりいろんなバイトをしてました。
ー「佐川のお兄さん」時代があったのですね。給料は良かったんじゃないですか?
そうですね。当時はほとんどお金のためだけに働いていたのですが、掛け持ちで週末の夜だけ恵比寿の「エンジョイハウス」というバーでバイトしていました。もともと「ハリウッドランチマーケット」の名物店員だった方が立ち上げたお店だったので、ファッション業界のお客さんが多くて。怪しい感じなんですけど、面白い人が集まっていました。
ーすごく気になりますそのお店
今も、恵比寿の五叉路にありますよ。そこのお客さんのひとりが、アパレル会社の社長の方で、Tシャツのグラフィックデザインをやれるデザイナーを募集してるから、やってみない?と話をいただいて。
ー思わぬところからチャンスが舞い込んできたと
入社して、3ヶ月後くらいに、いきなり社長から、やっぱりデザイン以外の仕事を任せたいと。社長がデザインをやって、それ以外のことをすべて僕がやるという形になって。デザイナーとして入ったつもりだったので、当初はちょっと腐ったりしてました。
ー結局社長が自分でデザインやりたかったんじゃーん!ってなりますよね
そうなんです(笑)でもそのおかげで、アパレルの商売のことを覚えたんですよ。デザイン以外の経理・営業・生産とか、展示会の準備とかお金の計算だったりもあって。それをやっているうちに、自分が商売の仕組みや、お金の計算するの嫌いじゃないんだなーってことに気づけたんです。
ーそれは大きな発見ですね
その勢いで、何を血迷ったか、27歳のとき、自分で〈MOTEL〉というアパレルブランドを立ち上げました。
ー洋服のデザインもNescoさんがやられて、ということですよね?
洋服のデザインも僕です。運よく「ユナイテッドアローズ」や「ナノユニバース」に早い段階から取り扱ってもらったりして、全国で40店舗くらいに展開していましたね。
ーNescoさん、何者なんですか・・・!(2回目)
当時はまだ比較的服が売れてましたからね。それで2005年くらいから、自分のブランドのカタログをつくりはじめて。うちみたいな個人でやってる小さなブランドが、毎シーズンきちっとしたカタログを撮影してつくるのは珍しかったこともあって、業界では注目してもらえたように思います。
ーもともと大学ではグラフィックデザインを学んでて、デザイナーになるべく上京したわけですもんね。カタログづくりはいわばお家芸!
そうなんです。少しずつそんなことを繰り返していくうちに、「ナノユニバース」や〈CA4LA〉さんからカタログを作って欲しい、と話をいただいて。そこから少しずつカタログのデザイン案件が増えていき、気付いたらパッケージのデザインに手をだしたりとか。制作物を手がける比重が大きくなっていきました。
ーどうやら、Nescoさんのところは自分でカタログつくってるらしい、うちもお願いできないですかねーというのが増えていったと
そうですね。洋服作りも楽しかったのですが、100%自分発信ですべて物事を進めていかなきゃいけないのも大変で。今も別のブランドは続けていますが、デザインをメインの事業に切り替えることにしたんです。
ー〈MOTEL〉は何年ほどやられていたのですか?
ちょうど10年くらいですね。
ーなるほど、今はアートディレクターという肩書きですけど、もともと「ファッションブランドの代表兼デザイナー」からはじまっていたのですね。
そうですね。紆余曲折ありつつ(笑)
ーアパレルブランドをやっていたことがベースにあるので、自ずと空間やディスプレイ、洋服づくりも立体的なところから、ロゴや刷り物のデザインまでやれる「幅広いNesco」さんが形作られていったわけですね!
それはすごくあると思います。
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