ー今回は、「人物名鑑」という企画で、健光さんについて掘り下げるインタビューになります。
ありがとうございます。よろしくお願いします。
ー過去にご登場いただいた、TDMS inc.のヨンボさんという方がいて、世界初のレコード制作サービスを運営したりしている……
あ、ヨンボさんですね。
ーお知り合いですか?
よく、お店に来てくださっています。
ーおお、そうなのですね!そのヨンボさんが、「上原界隈には、音楽もやりながら食やお酒に詳しい、ライフスタイルのバランスがとれた面白い人がたくさんいる」と仰っていて、まさに健光さんのような方ではないかと思いまして。
いやぁ、うれしいです。僕もこのあたりでお店をひらかせてもらって、おもしろい人がたくさんいて恵まれているなぁとおもいます。ヨンボさんも、そのなかのひとりです。
20歳からはじめた音楽。バイトで食いつなぐ日々。
ーまずはじめに、生い立ちや音楽との関わりについて伺えたらと思います。ご出身はどちらですか?
生まれは熊本です。高校まで地元にいて、大学進学と同時に上京しました。
ーもともと、音楽をやりたい!ミュージシャンになりたい!というのは小さい頃から考えていましたか?
音楽をやりはじめたのは20歳ぐらいからなのでどちらかといえば遅いほうなんですよね。
ただ、物心ついたころから何かしら音楽は聴いていました。あまり外で遊ぶタイプではなく、友達も少なかったので、だいたい家で音楽を聴いて過ごしていました。高校生になると、学校帰りにレコード屋さんにほぼ毎日立ち寄ったりして。それが原体験ですね。
アーティストとして、リミックスワークなども手がける
ー音楽をやりはじめて、最初から手応えを感じていましたか?
20歳からいくつかバンドを組んで活動していたのですが、どれもなかなかうまくいかなくて。自分で曲をつくったほうがいいかな、というタイミングで、兄からお下がりでPCを譲り受けたんです。機材をいくつか買い足せば、これで曲がつくれると聞いて、ひとりでやりはじめたのがだいたい26-7歳ぐらいの頃です。
ー大学卒業後も、就職はせずに音楽ひとすじだったのでしょうか?
音楽だけでは食べていけないので、いろんなアルバイトをしていました。派遣の警備員のようなものから、しゃぶしゃぶ屋さんやパチンコ店、携帯の修理とかも。
ー音源をリリースしたり、フェスやイベントに出演するようなミュージシャンでも、1本で食べていくのはなかなか難しいことなのですね。
音楽のほうでちょっとずつお金をいただけるようにはなっていきましたが、1本で食べていけるのはやはり一握りの人たちだけですね。
名店で働き始めて出会った、もうひとつの好きなこと
ーしばらくは、音楽活動と並行してアルバイトを続けつつ。
30代の半ばぐらいになってくると「そろそろバイトは辞めて就職しなさいよ」的な、親からのプレッシャーが強くなりはじめまして。しかも兄経由で、そういった連絡がきて(笑)。
ーそれはなかなかきついですね。。
別にいいよ就職するよと半ばムキになって中途採用OKなところに入ってみたのですが、逆にその会社が人を採用しすぎて、経営難に陥ってしまったみたいで、急にリストラをしはじめちゃって。なかば不当解雇されてしまい、また派遣のバイトに戻りました。
ーわずかな期間の正社員体験。
期間は短かったですけど、「音楽1本で食っていけないからといって、完全に音楽をやめてしまうのは違う」とそこであらためて思いました。日本で生まれ育っていると、小さい頃から「何かひとつ、手に職をつけなさい」と言われて育つじゃないですか。
ーそうですね。正社員になるか、食べるのに困らない技術を身につけるか、のどちらかが重視されますよね。
僕もそういった教育を受けてきて、自分にとっては、その突き詰める「ひとつ」が何かというと、音楽でした。音楽の場合、1個に絞って、もしそれがダメだったら、一切やめて生きていかなきゃいけない、みたいな暗黙知みたいなものもあります。だけど、好きなことをすべて生活からなくしてしまうと、生気が失われていくんですよね。生きている意味を見失って、なにも楽しめなくなってしまう。歳を重ねるごとに、その葛藤はどんどん強くなっていきました。
ー好きなことをお金にしていくのか、割り切るのか、永遠の課題ですね。
その頃、いま考えると大きな転機だったのですが、また派遣に戻ってしばらく過ごしているうちに、イベントで六本木のビストロ&ワインバー「祥瑞(SHONZUI)」の方々に出会いました。何度かお会いして交流を深めるなかで、うちで働かない?と誘ってもらって。それが自然派ワインを仕事として扱い始めたきっかけでもあり、そこで働くひとたちの生き方・姿勢に触れて、今までの自分をも見つめなおし、それまでの葛藤がなくなりました。
祥瑞で働いていたときの健光さん
祥瑞で働くひとたちは、料理やお酒に打ち込んでいながら、音楽が大好きだったり、自転車マニアだったり、みんなそれぞれ好きなことを持ち続けていたんです。オーナーも音楽が大好きで、レコードを何千枚も持っていたり。音楽好きだからこそ、イベントで出会って、お店でかける音楽を選んでよ、みたいな誘い方をしてもらっていました。
その人たちの輪にふれることで、「ひとつに絞らなくていいんだ」と、やっぱりこれでいいんだな、とそれまで漠然と思っていたことを肯定できるようになりました。
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