アクトローカリーで取材する機会の多い富ヶ谷。カフェやヘアサロン、画材店や活版印刷所など、魅力的なお店が多い話題のエリアです。その富ヶ谷の住宅地に、ファッション業界を支える刺繍アトリエがあります。アトリエの名前はレンミッコ。
レンミッコは、刺繍職人の柴田士郎さんと小川明子さんが立ち上げたアトリエで、今年で創業20年。コレクションブランドの刺繍を手がけるアトリエに始まり、今はオートクチュール刺繍を教える教室、ビーズやスパンコールなどの刺繍の素材を販売するショップを運営しています。今回はレンミッコの小川明子さんに、刺繍との出会いやアトリエ立ち上げの経緯、富ヶ谷の魅力などを伺いました。
20歳で大学を辞め、単身でフランスへ
──小川さんが刺繍に出会ったきっかけを教えてください
大学生の時に、渋谷のBunkamuraで開催されていた「パリ・モードの舞台裏」という展覧会に行ったんです。フランスのファッション業界を支えるさまざまな工房の仕事を紹介する展示会で、フランスの刺繍職人のフランソワ・ルサージュのドレスに衝撃を受けました。
──どんな点に衝撃を受けましたか?
ルサージュのドレスは、今までの刺繍では見たことのない素材が縫い付けられていたんです。それまでの「刺繍は糸で作るもの」という概念がひっくり返されて、「こういうことも刺繍と言っていいんだ!」と大胆で自由な発想に驚きました。
当時、私は大学で染織りを専攻していましたが、よりファッションに近い仕事や技術を学びたいと進路に悩んでいた時期だったんです。ルサージュの刺繍に出会って、自分の好きな要素の詰まった刺繍を学びたいと思いが強くなりました。そして大学を辞めて、ルサージュの技術が学べるフランスの刺繍学校「エコール・ルサージュ」へ留学しました。
──留学する前は刺繍の経験はありましたか?
刺繍をしたことはありましたが、小学校の夏休みの宿題で作ったくらい。それ以降は刺繍をしていませんでした。また、フランス語も話せなかったので、入学前の8カ月間現地の語学学校でフランス語を勉強しました。
──刺繍学校での生活はいかがでしたか?
学校では、特殊なかぎ針を使うリュネビル刺繍を学びました。刺繍工房の手の空いた職人さんが教えてくれ、彼らとの会話や手の動きから技術を習得しました。
なかでも勉強になったのが、縫い付ける素材の選び方。工房はオートクチュールを手がけることが多く、見せることを意識して作るので、素材の使い方や選び方に決まりがないんです。ルサージュは、「穴があって、縫い付けられれば何を使ってもいい」と自由な発想を教えてくれました。色の組み合わせの幅も広がりましたね。フランスでの生活は学びの連続で、目が覚めた感覚でした。刺繍学校には意外と日本からの留学生が多く、その学校で柴田と出会いました。
──柴田さんとは留学先で出会われたんですね
そうです。柴田も「パリ・モードの舞台裏」展に感動して同じ刺繍学校に留学していました。でも私の方が入学が早かったので、在学期間は被っていなかったんです。友人を介して知り合い、同じ東京出身だったことがきっかけでよく話すようになりました。自分の刺繍のブランドや作品を作るより「刺繍の技術で人を支えたい」という志が一緒だったので、帰国後の2004年に一緒に刺繍アトリエを立ち上げました。
耳と目で習得した技術を日本へ
──帰国後に自分たちでアトリエを立ち上げられたんですね
当時の日本にはリュネビル刺繍の技術を使う現場がなかったので、まずは自分たちでアトリエを立ち上げました。と言っても、最初は準備期間。最初は柴田の実家のリビングをアトリエとして使わせてもらって、学んだ技術を使いこなすために、ひたすら刺繍のコピーをしていました。
──どんな刺繍をしていたんですか?
当時は、今のようにインターネットやSNSで情報収集できなかったので、各所からルサージュが手がけたオートクチュール刺繍の写真を探して、写真を解析して刺繍していました。刺繍をすることで、学校で学んだ技法の解釈を二人で擦り合わせました。私は会話を通して耳で刺繍の技術を習得しましたが、柴田はフランス語が得意ではなかったので、全て目で観察して習得していました。耳と目で得た情報には受け取り方の違いがあって面白かったですね(笑)。他には、ビーズ屋さんに通って、素材の調達先を開拓していました。
──気が遠くなるような作業ですね(笑)。お二人でゼロから立ち上げたんですね
教えてくれる方がいないので、自分たちでやっていましたね。営業を始めると、最初に代々木上原にアトリエを構えるウエディングドレスのデザイナーの方がお仕事をくださって。ご一緒するうちに、その方のロフト部分を使わせていただくことになり、アトリエを代々木上原に移しました。
ウエディングドレスのデザイナーの方経由で、花嫁のお母様から刺繍を習いたいというリクエストをいただいて、2007年から刺繍教室を始めました。そして、生徒さんが素材を探しやすいようにと、2011年からパーツを販売するショップをアトリエ内にオープンしました。
アトリエ内のショップ「カラーバケット」。色バケツを表す店名には、色が溢れてガチャガチャした雰囲気を出せたらという願いが込められている。
自分たちのできることを最大限に
──アトリエ、教室、ショップ。3つ事業はそのようにして誕生したんですね。現在、アトリエではどんなお仕事をされていますか?
ブランドデザイナーさんから依頼を受けて、コレクションやランウェイ用の洋服の刺繍を手がけています。あとはスタイリストさんの依頼で、アーティストのライブ衣装や、CMや映画の衣装などを制作しています。
受注によって制作方法はさまざまです。既に洋服など立体になっているものに刺繍をする場合もありますし、布地にまず刺繍を施してから、ブランドで縫製する場合もあります。縫製と刺繍を別々に同時進行で進めて、最後に合わせる場合もあります。
アトリエの様子。滅多に見られない貴重な現場。壁には素材のパーツや、過去に制作した作品がサンプルとして保管されている。
取材の日は、アーティストのライブ衣装の制作真っ只中。柴田さんの他に刺繍を手掛けるスタッフが1名在籍している。
──アトリエでのお仕事は、どんなことを意識していらっしゃいますか?
アトリエの刺繍は全て柴田が担当しています。ブランドのテイストや魅力を研究して理解して、寄り添うように技術をのせるようにしています。レンミッコ色を入れながら、そのブランド色を出して、何色にも化けるようにしたいなと思っています。なので、「レンミッコはこういうのが得意だね」と逆にわからないことを目指していますね。
──アトリエは柴田さんがお一人で担当していらっしゃるんですね。
そうですね。柴田は文化服装学院出身で、服の構造を理解して、布地の理解が深いです。なので装飾をつける意図を汲んで、刺繍をデザインするのが得意。私は聞かれた時に相談に乗ることはありますが、基本的に全部柴田に任せています。
これは、以前制作したヴァン クリーフ&アーペルの広告作品用サンプルです。クライアントからコンセプトを伺い、柴田がブランドの背景を調べて、象徴的なテーマである庭をイメージして制作しました。実際はもう一つのデザインが採用されました。
かぎ針を使ったリュネビル刺繍と、針を使うマントゥーズ刺繍の二つの技法で作られている。長さや形が異なる様々な素材が使われている。
見せてもらった刺繍の裏面。縫い付けた糸が星座のようでこちらも素敵。
──華やかで素敵ですね!完成までにどのくらいの時間がかかっていますか?
これは2週間くらいですかね。私は完成したと思っても、柴田は最後の最後まで刺繍を足したり、修正するんですよ。最後まで諦めないので、「まだやるの?」って軽く文句を言っています(笑)。納品のスケジュールやコストを気にしつつも、柴田の提案通り変えたほうが良くなることはわかっているので、最大限の力を出し切ったと思えるまで作り込んでいます。
──柴田さんの飽くなき挑戦心はすごいですね。何がそうさせているんでしょう
何でしょうね、聞きたいよね(笑)。彼は小さいサイズの案件も、シンプルな技法の案件も、どんな仕事も楽しんでますね。心から刺繍が好きなんでしょうね。「刺繍をやらせてもらえるならいいものを作りたい」という意識が高いです。…普段はこんな褒めないんですよ(笑)。
──アトリエとしての今後の目標があれば教えてください
そうですね、これまで以上に刺繍でクリエイティブなことを手伝えたらと思います。ファッション以外のジャンルでも役に立てたら嬉しいですね。アトリエには「柴田ボックス」という箱があって、柴田が面白いと思った素材が入っているんです。金たわしとか、マッチ棒の火薬のついていない棒とか、「本当に刺繍に使えるの?」という素材が入っていて(笑)。柴田は異色と思われる素材を使って、新しい表現に挑戦したいという気持ちがあるみたいです。刺繍の可能性を引き出してくれるような相手とファッション以外のもの作りにも挑戦できたらいいですね。
この日の「柴田ボックス」には人工芝やコットンが入っていました。アトリエには穴をあける機械があるので、どんなものでも刺繍のパーツにできるそう。
これまでのレッスン受講者は2000人
──では、刺繍教室のレッスンについてお伺いさせてください。
教室のレッスンは私が担当しています。1クラス4〜5名で、レッスンは1コマ3時間。レッスンに曜日や頻度の規定はなく、月1、2回をイメージして、好きな時にホームページの空きを見て予約していただいています。リュネビル刺繍は特殊な技術でかなり根を詰めるので、生徒さんのそれぞれのペースで進めていただいています。
──どのような方が習いにいらしていますか?
リュネビル刺繍の認知が日本でも広まって、全国から習いにきていただいています。中には海外から習いにいらっしゃる方もいます。遠方の方は、2コマ連続や、2日にわたって受ける方もいらっしゃいますね。年齢は幅広く、手芸やファッションが好きな方が多いです。今は150人から200人ほどが在籍しています。
──コース別の終了や卒業がないということでしょうか?
そうです。習得のペースも人によっても違いますし、卒業というものはないと思っています。なので、ご自身のペースで3、4年通っていただく方が多いです。なかには、教室を始めた当初からずっと来ている方もいらっしゃいます。有難いことに希望いただく方が増えて、今は入会に一年半ほど待っていただいている状況です。
アトリエ、ショップと同じフロアにある刺繍教室。壁には色々な刺繍のモチーフが飾ってあり、創作意欲が刺激されます。取材に伺った日はワークショップ当日。教室はワークショップのための配置になっていました。
──リュネビル刺繍の技法を伺ってもいいですか?
リュネビル刺繍は、小さなかぎ針を使って、布地に糸を編み込んでいく技法です。糸をかぎ針の返に掛けて、引き抜いて小さなチェーンステッチを編み込んでいきます。ビーズやスパンコールを刺繍する際も同じ動きですが、素材を糸に通しておく必要があり、布地の裏面から編み込んでいきます。手早く綺麗にラインを描けるのが特徴です。
対して大きな立体のパーツは、普通の針を使ったマントゥーズ刺繍で作ります。リュネビル刺繍の直線に、マントゥーズ刺繍の立体パーツを組み合わせて縫い付けて完成させます。
レンミッコのロゴ入りのオリジナルかぎ針。
──小川さんがレンミッコの活動で喜びを感じるときはどんな時ですか?
生徒さんに説明したときに、「なるほど!」「そういうことか!」と刺繍の構造を理解してもらえた時は嬉しいですね。刺繍をした後に「あぁ、楽しかった!」という一言が聞けた時も嬉しいですね。刺繍は細かくて集中する作業なので、苦しそうな表情をしていると「辛くないかな?」と心配になることもあるんです。
──小川さんの今後の目標はありますか?
オートクチュール刺繍をもっと知ってもらえるようにするのが目標です。オートクチュール刺繍には針で取り組める技法もあるので、教室やショップを通じて簡単さや楽しさを伝えていけたらと思います。手芸の枠にとどまらず、刺繍をファッションに取り入れて簡単に楽しむ方法も伝えていきたいです。
あんこ工場だった建物をアトリエに
──富ヶ谷にアトリエを構えたのはいつ頃ですか?
17年前です。代々木上原の教室に通っていた生徒さんに負担をかけないため、なるべく教室に近い場所で物件を探して富ヶ谷に移転しました。富ヶ谷のアトリエは今で2軒目。前のアトリエが手狭になり、今年の5月に2軒隣にあった今の建物に引っ越しました。
──2軒隣への引っ越しだったんですね!
そうなんです。天井が高く、3つの事業がワンフロアに収まる倉庫のような建物が理想でしたが、代々木上原か富ヶ谷近辺にはその条件を満たす建物はないだろうと諦めていたんです。でも、ふと2軒隣の建物が製餡所の工場で、8年前に事業を畳んだことを思い出して。ご近所でしたが、食べ物を扱う工場なので、衛生面を気にして中を見せていただいたことはなかったし、現状が分からなかったんです。
たまたま製餡所の大家さんと立ち話をした時に、「あの建物って今どうしてます?」と聞いたら、「空いてるけど、見てみる?」とそのまま内見させてくださって。まさにイメージ通りの物件で、「理想的な建物が2軒隣にあったなんて!」と興奮しました(笑)。翌日に柴田も内見し、引っ越しが決まりました。
左のディスプレイに使われている桶などは製餡所の什器。製餡所の名残りを感じられる店内。
──8年間使われていなかった建物だったんですね。まさにレンミッコさんのために空いていたように思えますね!
本当にそうとしか思えない(笑)!什器も建物内に残っていて、いつでも製餡を再開できそうなほど、大家さんが綺麗に管理していらっしゃったんです。そんな製餡所の雰囲気を少しでも残せたらと、看板や床のタイルを残したり、製餡に使われていた道具をディスプレイに活用させてもらっています。当時使われていた台も柴田がDIYして、今はアトリエで使っていますよ。
──素敵な空間ですね!では最後に、富ヶ谷のお気に入りスポットがあれば教えてください
Little Nap COFFEE ROASTERSによく行きます。あとは同じく近所のルヴァン、代々木八幡駅近くにあるイエンセンもよく行きますね。富ヶ谷はおしゃれなお店が多いですが、生活感があるところが好きです。アンテナを張っている方が多いので、コーヒー屋さんで会ったご近所さんとの立ち話でアイデアやヒントを頂くことも。そんな時間が楽しいです。
気さくなお人柄と丁寧なコミュニケーションで、刺繍の技術や魅力を伝える小川さん。クライアントのテイストを尊重し、洋服を際立たせるために一針ずつ手仕事を施す柴田さん。それぞれの役割を全うするお二人には、20年前から変わらない「刺繍の技術で人を支えたい」という共通の思いが根底にありました。クライアントや生徒さんはそんなお二人の真摯な姿に魅了されているのだと感じました。
印象的だったのは、ガラスのドア越しの小川さんにぺこりと挨拶していた、ご近所のお子さんの姿。小川さん曰く、ご近所はみんな顔見知りで、みんなで子どもの成長を見守る関係なのだとか。引越し準備していた時も、空いていた工場にレンミッコが入ると聞いてご近所はみんな喜んだそう。ご近所からも愛されるレンミッコ。素敵な繋がりが羨ましくて、ご近所になりたい…!
アトリエでは、ファッションブランドのポップアップや、注目のクリエイターや作家を招いたワークショップなど、毎月楽しい企画が行われています。刺繍と聞いてハードルを感じた方でも、きっと楽しめるイベントがあるはず。気になった方は、ぜひレンミッコのHPやSNSをチェックしてみてくださいね。
カラーバケット
【住所】〒151-0063 渋谷区富ヶ谷2-42-3
【営業時間】11:00~17:00
【定休日】不定休(インスタグラムのカレンダーをご確認ください)
【電話】03-3468-5795
【メール】contact@lemmikko.com
ALL PHOTOS:SHO KATOH
RELATED
関連記事