代々木公園のすぐそばに、エプロンを付けた寡黙なお兄さんたちが、見たことのない古いマシンや道具を使って、靴やバッグを修理しているお店があります。
そして店内は、機械が動く音に混じって、ラジオが聴こえてくる。
そういえば、建築や工芸の職人さんはよくラジオを聴きながら作業をするイメージが…。
ここ「シューズファクトリーKIKUCHI」は、昭和55年に創業して40年近くの実績を誇る、革製品の修理専門店。確かな技術力とノウハウで、靴をはじめ革製品全般のリペア作業から傘修理まで幅広く承っていて、一般客だけでなく全国の一流デパートや専門店・メーカーからの依頼も受けているんだそう。
そこで今回は、革製品修理の職人としてのこだわりや、靴やバッグに修理やリメイクを施すことの必要性について、シューズファクトリーKIKUCHIの創業者であり店主・菊池忠美さんにお伺いしました。
靴磨きが趣味のホテルマンから、革製品の修理職人に転身
――まずは、革製品の修理屋をはじめたきっかけを教えてください。
もともとホテルマンとして働いたのですが、ビン入りの靴墨の香りが好きだったんです。ホテルマンだから足元だけはきちんとしようとおもって、自前の安い靴を靴墨で毎日ピカピカに磨いていました。
しだいに靴を磨くのも好きになり、ホテルの仕事が休みの日に渋谷の本町にある靴修理屋で、修行するようになりました。朝から晩まで、月に3回くらい。
それから2〜3年くらい経って30代後半、ホテルマンを辞めて靴磨きの腕を上げるために、中野や上原近辺の民家を一軒一軒飛び込みでまわっていたんです。「靴磨きの勉強をしているので、タダでいいから磨かせてください!」っていいながら。
そうしているうちに靴磨きが終わると、「これ持っていきなさい」って3〜4千円を渡されるようになり、「あれ?これお金になるじゃないか⁈」って気づいたんです。そのうち修理も依頼されるようになり、修理の仕方を靴屋に教えてもらって……趣味で始めた靴磨きから、革製品の修理屋を開店するところまで発展しました。
富ヶ谷は”ファッションのメッカ”として、しのぎを削る地だった
――なぜ代々木公園エリアにお店を構えたのですか?
まず、ロケーションがものすごくいい!渋谷と新宿のちょうど真ん中に位置しているし、東西に走る地下鉄千代田線や小田急線も通っていて、バスに乗るにも便利でタクシーもつかまりやすい。
当時の富ヶ谷は、昔から”ファッションのメッカ”といわれるくらい、アパレル会社がすごく多かったんです。まず富ヶ谷で試作品を作り、青山や原宿のブティックで売ってみて全国展開するかを判断するブランドがたくさんあった。だから、この辺りには靴修理業者が5〜6件くらいあって、しのぎを削っていた時代がありました。
そうやって交通の便利性とアパレル業界が栄えていた状況を考えたときに、この代々木公園エリアは、靴やカバンの修理屋をオープンするのに、打ってつけの場所だと確信しました。
応急処置ではなく、長く使えるような修理を
――靴やバッグなど、具体的にはどんなお直しができるのでしょうか?
靴の場合は、ピンヒールのカカト交換から、皮の巻き替え、紳士靴のカカトや靴底の滑り止めの交換、中敷の交換も。バッグや小物は、本体やベルトを縫い直したり、取手の交換や作り直し、内袋の交換、金具の交換補強、色の補色まで、幅広く対応しています。
かかとの修繕のために持ち込まれた靴でも、他の部分の傷や擦り減りなど細かくチェックして、ただの応急処置ではなく、なるべく長く履いてもらえるような修理を提案しています。
また、ヘコたれたり色あせてしまったソファーのカバー張り替えも、格安で対応しているのでお客さんは大喜びしてくれます。革製品は使えば使うほど風合いが出てくるので、きちんと修理をすれば思っている以上に長く使えるものなんですよ。
実際に、修理を拝見してみると…
女性のお客さまからの修理依頼で最も多い、ピンヒールのかかとゴム交換。実際に作業している様子を少し見せていただきました。
まずは、すり減ってしまったヒールのかかとゴムを、ペンチで取り外します。
次に、新しいかかとゴムを金づちでトントンと叩いて取り付けます。
研磨紙を回転させて研磨する「グラインダ」という機械を使用して、ゴム部分の形を整えていきます。
ヒールの形や大きさに合わせて、ゴムの側面を削ります。
仕上げに、底面を研磨しながら平坦にして出来上がり。かかとの形や大きさは全て違うため、機械を使って丸く削るのには鍛錬が必要な作業なんだそう。
ついでに、著者の私物バッグもどうにかレスキューしていただくために、持ち込んでみました。
10年以上前に、イタリアで買った思い出のバッグ。当時はお気に入りで毎日使っていたのに、仕事の環境が変わり忙しない日々を送っているうちに、クローゼットの奥に放置したままカビだらけで無残な状態に…。
バッグの状態を診てもらうと、バッグの表裏に付着しているカビを取るための洗浄と、全体的に色あせているピンクのカラーを補色が必要とのこと。
約10日後、お直しが完成。付着していたカビが取れて革の表面もツルツルに。表面のピンクカラーは新品で買った時と同じ色に戻り、ツヤが出ています。
数年の間クローゼットの奥に放置され、カビだらけになっていたバッグが、職人さんの手仕事による技術と想いがプラスされて蘇り、「これからも大切に使おう」という気持ちになりました。
ちなみに、自宅で革製品を上手に保管するためは、まず内側の湿気と表面のホコリを取ること。それからクリームで保湿して形を整えて、通気のよいところに置いてしてあげるのがベストなんだそうです。
親から子へ、モノを引き継ぐということ
――お客さまは、どんなときに靴やバッグを修理やリメイクをするのでしょうか?
もちろん壊れてしまった部分を修繕するために来られるお客さまが多いですが、それだけではありません。
毎年5〜7足、革靴の本底を張り替えに通ってくださるイギリス人の男性がいて、時々「息子が大きくなったから、私の靴を息子に譲りたい」とお直しを承っていたんです。その数年後、息子さんも通ってくださり、親子2世代に渡って靴のお直しを対応していました。
靴文化の本場イギリスでは、両親からの躾として、靴に充分なメンテナンスを施し、2〜3足を交互に履いたりなどして大事に扱うことが習慣づけられているそうです。だから革の状態もよく、靴底をしっかり取り替えれば、長い間使い続けることができるのです。
家の中でも靴を履く”靴文化”が浸透している欧米と、靴を脱いで過ごす”畳文化”の日本では、靴に対する意識が違うのかもしれません。磨いたりお直しをした靴を履くときは、履き慣れた安心感と緊張感の両方を感じられて、とても心地よいものです。
ほかにも、亡くなったご家族が愛用していた大きいバッグを小さなバッグにリメイクして、形見として神棚に飾る人もいます。だから私たちはいつも、代々受け継がれる一家の”財産”を預かるつもりで、慎重な修理に挑んでいます。
時間をかけて糸を一本一本ほどき、一針一針と、ステッチの間隔を統一しながら縫っていく……。
ビール1杯から、師弟関係を築く
――工房には20代位の若いスタッフが多いようですが、どのように技術を伝承されているのでしょうか?
もちろん、若いスタッフたちとの間にジェネレーションギャップはありますよ(笑)。ただ、職場のコミュニケーションを大事にしたいので、仕事終わった頃を見はからって「ビール1杯飲もうや」と頻繁に誘っています。
サラリーマンだと職場で酒を飲むことはないかもしれませんが、昔の職人たちはそうやって師弟関係を築いていったものです。彼らが工房で金づちを叩く音を聴きながら、技術が上達するのを見届けつつ、たとえ安価な修理でも絶対に手を抜かないように指導しています。
一人ひとりのお客さんを大事にして、一つひとつ丁寧に修理していけば、お金は後からついてくるもの。だから若いスタッフたちには、日々自分自身と戦いながら、たくみを目指して欲しいですね。
時代を追いかけながら、いいものを使い続ける価値を伝えたい
――駅など靴修理チェーン店も増える中、シューズファクトリーKIKUCHIにしかできないことはありますか?
時代の変化に応じて修理のニーズも変わっていくもので、私が若かった頃は革靴が主流でしたが、今やスニーカーの時代。これからはスニーカーも長く履けるように、修理やリメイクについて独自の技術を5年くらいかけて身に付けました。
また当店では、靴修理のケイタリングサービスも行なっています。神田や四谷などのオフィスを定期的にまわって、各企業の従業員から修理を承っています。仕事で忙しい会社員でも、職場内で修理を頼めるのは便利らしく、ご家族の靴やバッグも持ってきてくれます。
そうやって、ただ職人として工房でお客を待つのではなく、時代を追いかけながら、いいものを大切に使い続ける価値を伝えていきたいです。
これからのオシャレのあり方や、モノの使い方とは?
地球上の環境破壊問題によって、欧米を中心に”大量消費”のファストファッションから、”持続可能な消費”としてのサステナブルファッションへ、トレンドがシフトしはじめ、コロナ禍でさらに加速している昨今。
皮革をはじめ天然素材がどんどん減っている中で、資源をムダ使いしないように必要最小限の買い物をして、修理やリメイクを繰り返しながら一点のアイテムを長く愛用することが、オシャレの主流になるまでそう長くはないかもしれません。
シューズファクトリーKIKUCHIは、世の中の生活や価値観が劇的に変化していく真っ只中に、これからのオシャレのあり方や、モノの使い方のヒントを教えてくれる、まさに”ファッションのメッカ”富ヶ谷に存在すべき名店でしょう。
シューズファクトリーKIKUCHI
住所:東京都渋谷区富ヶ谷1-8-20
営業時間: 平日 9:00~19:00 / 土・日・祝日 11:00~19:00
定休日:夏季・冬季 ※臨時休業あり
TEL:03-3468-8769
URL:http://www.shoes-factory.jp/
RELATED
関連記事